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佐賀には明治41年(1908)冬に訪れますが、明善中学校の恩師であった森三美が佐賀中学校に転任したことで、森を訪ねて翌42年7月から43年11月
まで滞在していました。明治43年4月には、当館の支援者でもあった西英太郎(衆議院議員・西肥日報社長)の後援で、当館で画会が開かれました。
この画会の大成功は、貧困と絶望にあえいでいた当時の青木繁にとって、つかの間の幸せだったようです。その後、7月から9月に架けて当館に投宿し、
宿代の代わりに「温泉」他の作品を置いていったとのことですが、現在は残っていません。
先年の東京芸術大学創立百周年記念の所蔵作品全国巡回展では、その図録の表紙に青木繁の自画像が選ばれるなど、最近、青木芸術への再評価が高まっていますが、
明治時代の西洋一辺倒の洋画壇にあって、青木繁が神話や伝説を題材にして、天才的な感性と想像力、描写力を発揮したことが彼の芸術に普遍的な価値を与えているものと思われます。
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